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つらいコロナ禍で読み始めた新聞、私が救われた理由

新聞
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【なぜ今、新聞?10年ぶりに購読を再開】

かつて私が新聞を読んでいたのは学生の頃、就職活動をしていた時でした。しかし働き始めてからは読まなくなり、気が付けば10年以上が経過!日常的に新聞を読んでおいた方が良いとは思いつつも、テレビとネットからの情報だけで満足していました。

そんななか、コロナ禍で再び目を通すようになった新聞。そこからの情報が、何度も私を救ってくれました。なぜ再び新聞を読むようになったのか?どのように新聞に救われたのか?新聞に支えられたコロナ禍を振り返っていきます。

【最初は子供達のおもちゃにしていた新聞】

2020年春、小学校が休校、幼稚園も休園になり、子供達と3ヵ月も自宅で過ごすことになりました。これがもう、大変!子供達もストレスが溜まってしまって、毎日家の中が荒れ放題でした。

どうにか一緒に楽しく過ごしたいと思い、実家からもらっていた新聞を使うことにしました。我が家では新聞を取っておらず、もともとは冷蔵庫の野菜を包むためにもらってあった物です。

子供達からは見事なアイデアが次々に出てきて、新聞で剣や帽子を作ってとても盛り上がりました。切ったり貼ったりする作業をしながら目に入った記事が気になったことが、新聞を読み始めたきっかけです。

【新聞の受け取りを口実に、実家の車庫までドライブ】

緊急事態宣言が出ると、ますます外には出られません。車で片道30分の距離にある実家へも行けなくなってしまいました。でも、1人暮らしをしている母の様子がどうしても心配です。

そこで、「新聞をちょうだい!」という口実で、子供達を連れて何度か実家までドライブをしました。でも、行くのは実家の車庫まで。実家には上がらず車庫で新聞を受け取って、お互いの元気な顔を見て終了です。会う時間は3分にも満たない、とても短い時間でした。週1回くらいのペースでそんなドライブをしていました。孫の笑顔を見た母が喜んでいたので、少しでも親孝行が出来たならうれしいです。

【新聞を通して見えた、昭和の日本】

夏にもまだ外出自粛が続いていて、終戦記念日が近付く頃には新聞に戦争に関する記事が増えました。「そういえば、コロナ禍は戦時中と同じようなものだと言う人がいたな」と思いつつ読んでいたら、昭和を生きる人の底力が見えてきました。

本当に胸を打つ内容が多くて、記事を読みながら涙が出てしまうほどです。なかでも焼け野原になった町を、裸足で歩いていた少年の話が印象的でした。がれきの中から自分の足に近いサイズの靴を見つけて、その1足をずっと履き続けたそうです。亡くなったであろうその靴の持ち主のことを、何度も考えたと書かれていました。

コロナ禍で出かけられずいろいろと不便ですが、昭和の人々が歯を食いしばって耐えていたことを思うと、めげてはいられないと感じます。新聞を読んでそう感じた瞬間から、気持ちがぐっと前向きに変わりました。これからも子供達と新聞を使って遊びつつ、記事から得た情報や歴史も少しずつ伝えていきたいと思います。


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